中尾 飯玉神社

主 祭 神   宇気母智神

配 祀 神   菅原道真公

       建御名方神

       須佐之男命

       美留目之神

創   建   延暦3年(西暦784年)と伝う

鎮 座 地   群馬県高崎市中尾町347番地

氏子地区    中尾町全域

      由緒沿革(碑文より)

当地は上毛の中央に位し、久留馬郷又は原の郷と称す。 土地は豊穣にして開けること早し。 

当社は桓武天皇​の御宇、延暦3年に勧請を為す。

其の後、千葉上総介常重及び足利幕府の代鎌倉管領上杉氏の守護地と為る。 各武将篤く崇敬。 特に慶長9年、高崎城主酒井左衛門尉の所領と為るや、二反三畝十五歩を寄進す。 元和2年松平丹波守、及び安藤対馬守、松平右京大夫は先期の通り除地と為す。

天保年間、氏子の三吉野検校は、当神社の建設に際し莫大なる金額及び神太鼓等を寄進す。 現今の社殿の荘厳なるは検校氏並びに氏子の敬神崇祖の念の厚き賜と謂うべき也。

明治後期許可を得て村内の菅原神社、諏訪神社を合祀し、神饌幣帛料を供進すべき指定神社と為る。

三吉野検校(群馬郡誌より)

三吉野検校は中尾字天神の沼田氏に生まれた。幼少より学を好み、和漢の学者になろうと志した。家が貧しく十数年を経た。17歳の春不幸にも眼を病み、遂に両目を失明した。しかし更に発奮して江戸へ遊学、知人の某医師を訪問して久しく客となった。この間按摩業を営みながら忍耐勤勉して和漢の学を学び、江ノ島に行き21日間の断食祈願を終わり、京都へ上りその間ある貴人から三吉野の姓を賜り、又検校を授けられた。その後江戸へ帰り同地の按摩業取締となり、その傍ら多くの弟子を集めて和漢の学を授けた。『かへしの風』という著書を著した。敬神の念厚く飯玉神社の再建に際して多くの寄進をしている。